Washokuの名前を日本語のまま残すということ
–「Sushi」を「vinegared rice with raw fish」と訳さない理由-
世界中の人々に愛される 和食(Washoku)。
Sushi、Tempura、Ramen、Sake… いまや多くの料理名が国境を越えて広まり、国際語のように使われています。
しかしここで大切なのは、 「和食の名前を翻訳せず、日本語のまま表記する」 という姿勢です。
「寿司=Sushi」と書くのは自然でも、「寿司=vinegared rice with raw fish」と説明してしまうと、そこに宿る何かが失われてしまいます。
ではなぜ、日本語表記のまま残すことが重要なのでしょうか?
① 翻訳で失われるニュアンス
言葉には「意味」だけでなく、その背景にある 文化・歴史・感覚 が含まれています。
- 寿司(sushi)
「vinegared rice with raw fish」と訳すと「生魚+酢飯」と誤解されがちです。
しかし寿司には握り寿司、巻き寿司、押し寿司、ちらし寿司など多様な形があり、「raw fish」だけでは到底説明できません。 - 味噌(miso)
「fermented soybean paste」と訳すことは可能ですが、実際には米麹や麦麹も使われ、地域ごとに赤味噌・白味噌・合わせ味噌が存在します。
日本人にとって味噌は単なる調味料ではなく、 健康と日常を支える基盤 なのです。
翻訳は便利ですが、そこに込められた 多様性と文脈 を切り捨ててしまいます。
② 名前は文化の「ブランド」
料理名は単なるラベルではなく、文化を象徴する ブランド です。
- 「Kimchi(キムチ)」を「fermented spicy cabbage」とは呼びません。
- 「Paella(パエリア)」を「Spanish mixed rice dish」と言ったら、そこに込められた地域の誇りは消えてしまいます。
和食も同じです。
Sushi や Sake は、日本文化そのものを背負ったブランド。
翻訳してしまえば、そのブランド力と文化的重みが薄れてしまいます。
③ 日本語のまま表記することで学びが生まれる
日本語のまま残すと、食べ手は「これは何だろう?」と興味を持ち、学ぶきっかけになります。
- Onigiri → 単なる rice ball ではなく、日本の生活文化の象徴。
- Dashi → broth では訳しきれない、昆布と鰹節の旨味の哲学。
- Kaiseki → course meal ではなく、茶道から発展した美意識の結晶。
料理名をそのまま使うことは、単なる食体験を 異文化体験 へと変えます。
④ 誤解を生む翻訳と海外での実例
翻訳や商業化によって、和食が誤解されるケースは少なくありません。
- カリフォルニアロール=Sushi?
多くのアメリカ人にとって「Sushi」といえばアボカド入りの巻き物。江戸前寿司の本質からはかけ離れています。 - Miso soup=即席スープ?
海外では粉末スープのように扱われることも多く、だし文化 が伝わらないことがあります。
もし翻訳に頼りすぎれば、和食は 「別物」へと変質してしまう危険 があります。
⑤ 「Washoku」という言葉の意味
「Washoku」という言葉そのものにも深い意味があります。
英語では「Japanese cuisine」と訳されますが、それでは 「食文化全体」 までは伝わりません。
- 「和」=日本的な調和・自然との調和
- 「食」=命をつなぐ営み
つまり Washoku は、四季の尊重、地域性、精神性まで含んだ 総合的な文化概念 なのです。
そのため、ユネスコ無形文化遺産に登録された際も「Japanese cuisine」ではなく 「Washoku」 と表記されました。
Washoku は単なる料理ジャンルではなく、日本人の暮らしや価値観そのもの を象徴しています。
私たちのNPO法人「Washoku Oceania Network/通称 WON」。また、このWONの前身である、食べて見て座談会を立ち上げた「Washoku Lovers」で使われている「Washoku」も、総合的な日本の食文化概念を意図して名付けました。
⑥ 日本語のまま残すことの意義
和食の名前を翻訳せず日本語で伝えることには、次の意味があります。
- 多様性を守り、本質を伝える
- 文化的ブランドを維持し、誤解を防ぐ
- 興味を引き、学びを促す
- グローバル化の中で日本独自の存在感を示す
Pizza は Pizza、Kimchi は Kimchi、そして Sushi は Sushi、Miso は Miso、Washoku は Washoku。
名前をそのまま残すことは、料理を 文化として世界に伝える行為 なのです。
⑦ まとめ
和食を世界に広めるとき、翻訳は「入り口」として必要な場合もあるでしょう。
しかし本質を守り、誤解を避け、文化を尊重するためには、 料理名を日本語のまま残すことが最も重要 です。
言葉をそのまま受け入れてもらうことこそが、真の国際交流。
そして Washoku に込められた「調和と食の哲学」 を理解してもらうことが、和食文化を未来へつなぐ第一歩だと思います。
和食を味わうことは、料理だけでなく 言葉そのものを味わう体験 でもあります。
そのような体験も通してWONでは、今後もWashokuを広める活動をしていきたいと思っております。